100人会 会報「いき・粋」より

いき・粋48号 東京だより bU  渋谷Bunkamura

               100人会東京駐在員 N.F.

 18年前、私達一家は1年だけ東京郊外に住んでいて、たまに都会の空気を吸いに行く渋谷は、大人っぽく洗練され、街と文化は西武・パルコがリードしていました。今、渋谷駅前は若者達に占拠され、事件に登場する街になってしまったのでしょうか。

いいえ、一日ゆっくりとした大人の時間をすごせる場所がありました。この夏、私はオーチャードホールで「ブラスト!」を見ましたが、金管楽器やパーカッションをパワフルにかき鳴らし、ステージ狭しと踊りまくる、まさに客席と一体感のある濃厚な舞台でした。シアターコクーンでは「コクーン歌舞伎」芸術監督の蜷川幸雄作品など定着した公演がファン層を広げ、チケットが手に入らず、9月上演の大竹しのぶ主演「エレクトラ」も、完売です。

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今、ル・シネマでは「フリーダ」を上映し、ザ・ミュージアムでは「フリーダ・カーロとその時代」展を開催していて、伝説のメキシコ女性画家の生涯とその作品に同時に触れることができます。さまざまな文化を通じて未来を創ることをコンセプトにした複合文化施設・東急Bunkamuraは、まさに都会の大人の空間で、下駄履きの下町にどっぷり浸っている私に”たまには出かけなくては”と思わせてくれる場所です。

ところで下町文化情報をひとつお知らせします。歌舞伎発祥&江戸開府400年の2003年、平成中村座歌舞伎は浅草寺の境内に小屋を建てて上演するとか。劇場の周辺に江戸の街並みが再現され、劇場内や周辺の商店街では特製の小判で買物ができるなど昔ながらの臨場感あふれた企画です。「コクーン歌舞伎」で大活躍の中村勘九郎さんがここでも座長をつとめます。

 

いき・粋46号 東京だより bS  一葉の足跡

               100人会東京駐在員 N.F.

 文京花の5大まつりは、湯島天神の梅まつりでスタートする。女坂は白梅が美しい。「湯島女坂下の心正堂に筆を買いに行った・・・」一葉は、きっとこの梅も見たのだろう。樋口一葉は、24年の短い生涯を東京の半径数キロの辺りで生きていた。生誕から終焉まで15ヶ所の住居遍歴があるが、父を亡くしたあと、母、妹と3人で暮らしはじめた本郷区(文京区)菊坂町、商いの店を出した竜泉寺町(台東区)を歩いてみた。

「たけくらべ」の舞台となった竜泉寺町には一葉記念館があり、歌塾「萩の舎」の記念写真(上流階級の令嬢たちの中で18歳の一葉は地味な着物姿だったが、その目には輝きがあった)、達者で墨色も鮮やかな自筆の短冊、桃水への手紙、荒物・駄菓子屋を営んでいた時の仕入帳、自筆下書き原稿などが展示されていた。

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一葉はここから上野・本郷・小石川と三山を越え「萩の舎」へ通った。昔の人は健脚だ。私は地下鉄を乗り継いだ。「萩の舎」に近い菊坂下通りの幅2メートルばかりの道にある旧居跡、路地奥には今も当時の井戸が残っていた。かつて溝川であったその長屋での生活は困窮を極め、一葉は小説家として立つことを決意する。

なじみの質屋「伊勢屋」の前を通って東大横の弥生坂を根津へ、そして団子坂下の我家に帰ってきたときは、すっかり日が暮れていた。「萩の舎」で仲の良かった平民三人組の伊東夏子は団子坂に、田中みの子は谷中に住んでいたので、一葉もきっとこの道を歩いたに違いない。

つぎはぎの粗末な着物を着ていても、志は高く、商いをしたものの所詮士族の商法・・9ヶ月で店を閉め、年の暮れの支払に悩んでいたら原稿料が入ってホット息をつき、梅、桜、根津神社のつつじ、上野の藤と花見に出かけ、頭痛・肩こりに悩まされながらも、その日その日を母娘3人ささやかに生きていた一葉一家が、私の中でいきいきと動き出し、「頭痛・肩こり樋口一葉」は本当に楽しみな舞台となった。

江戸開府400年の東京、皆さんも是非お越しください。

 

いき・粋42号 東京だより bP  下町ウォーキング

               100人会東京駐在員 N.F.

 不忍通りの団子坂下、ここがこの4月から私の住まいしているところです。たとえば一泊二日、東京で過ごすとしたら、一日目はお好きなところへ、二日目は下町情緒いっぱいの谷中・根津・千駄木へいってほしい。人、景色、食べ物、きっとあなたの知らない「東京」があります。

今日は、下町と山の手の交差点の街、根津界隈を歩いてみましょう。つつじ祭りで賑わいを見せている根津神社は1706年将軍家産土神(うぶすながみ)として権現造りで造営されたもので、どっしりした唐門から一歩足を踏み入れると、そこは”お江戸でござる”の空間なのです。

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神社脇の坂は森鴎外「青年」の舞台でもあり、内田百聞が下宿したという洋館、日本医大同窓会館には漱石旧居跡の碑、団子坂を登ったところに鴎外記念図書館、光太郎と智恵子もここに生きた、明治の文豪達の息遣いが感じられる街でもあります。

東大横を入ると夢二美術館、大正ロマンあふれた美人画の世界に浸りましょう。弥生坂を下っていった不忍通りには下町の古い古い三階家の「はん亭」が。80年の歴史のあるその店はアツアツの串揚げが美味。

そうそう、根津で忘れてはならないのがその名も「根津のたいやき」というお店。この道40数年の主人が焼き上げる鯛焼きはあのモンデール元駐日大使のお墨付き、江戸落語のようなやり取りも楽しく、今日も長蛇の列でした。

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