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****2007年10月号****

《バックナンバー》 2002年2003年2004年 2005年2006年


『つ ぶ や き』2007年
2007年10月02日(火 ) : 『先送り、つけ回しはもう限界!
                         私たちがとる行動とは・・!』

 

97年4月14日、諫早干潟の水門がいっせいに締め切られる映像が全国に流された。予算を大幅に上回る2000億円以上をつぎ込み、必要もない公共事業がごり押しされた瞬間でした。またひとつ、大切な自然が破壊されてしまいました。

 環境問題に関心をもつ人が増え、アルミ缶やダンボールなどのリサイクルに取り組む人が増えてきました。しかし、本当にリサイクルでごみ問題の解決につながっていくのでしょうか・・?ごみを減らすことができるのでしょうか?

 新たに造り出される製品の量を減らさなければ、石油の消費は減らず、パルプの原料となる木材の伐採は減らないばかりか、リサイクルした分だけまたごみとなっているだけなのです。環境問題の一面だけを見て対応する対症療法では、根本的な解決には結びつかないのです。環境問題の取組みの難しさのひとつはここにあります。

 様々な形で取り組まれている環境問題への対策方法を四つの種類にまとめると分かりやすくなります。

 一つはあまり効果を挙げているとは言えない「身近な市民行動」、廃品回収やリサイクル運動もこのひとつです。
 二つは省エネ型家電の開発などの技術にたよる「実現可能な技術導入」、ハイブリッドカーなどのエコカーもこれにあたります。
 三つ目は原子力発電や大規模太陽光発電など本当に地球と人間に優しいのか疑問のある「大規模な技術対応」。

 最後に残る対応は、大量生産・大量消費の社会システムそのものを変革する「根本的な社会変革」なのです。

 そして環境問題を解決することをめざす社会像には三つのシナリオがあります。
 一つはツケ回しという根本的問題を抱える「技術による解決シナリオ」
 二つ目は自由の抑圧される「管理社会シナリオ」
 そして三つ目が単なる過去への回帰ではなく、新たな自然との関係を取り戻す「自然回帰シナリオ」です。

 上記のことを京都大学名誉教授の内藤正明氏が著書の中で述べています。滋賀県の琵琶湖・環境科学研究センター センター長もつとめる内藤教授は滋賀同友会経営研究集会の第5分科会で「先送り、ツケ回しはもう限界!私たちがとる行動とは」のテーマで報告を行った。

 先端技術型社会よりも自然共生型社会を・・
 価値観や倫理観を変え、経済や法制度を根本的に見直し、地域資源を活用し、住まい方を変えなければ、環境問題は解決の方向に向いていかない・・・!!

 私たち一人ひとりの仕事の中で、生活の中での環境問題での取組みが必須の課題となってきている。建築設計の仕事の中で、どれだけ環境問題に迫っていけるのか・・

 内藤教授から投げかけられた課題にひとつずつ、できるところから取り組んでいきたい。

2007年8月15日(水 ) : 『8月9日11時2分を 人類最後の原爆に・・!』
 
 『8月9日11時2分、この時間を私は忘れることはないだろう』長崎原水爆禁止世界大会から帰ってきた友人が話した。
「授業中の学生を含めて7万人が11時2分。一瞬にして死んだ。死んだのではない、殺された。この悲惨な事実を世界大会に参加することで、恥ずかしい話だが初めて実感した」と。

 NHK戦後62年特集番組に「核クライシス」があった。現代におけるあらたな核攻撃の危機を伝えていた。都市の中に持ち込まれた核が爆発する『地表爆発』とミサイルにより高度100qでの『高度爆発』だ


 広島に落とされたものと同じ原爆が広島市内の地表で爆発した場合、死の灰の量は8月6日の何倍も増え、20万人以上が死亡する。また原爆が高度100qで爆発すると、放射能の影響はほとんどないにもかかわらず、強烈な電磁パルスが地表に降り注ぎ、全ての電子機器を破壊し、都市機能を壊滅させてしまう。

 核技術の拡散により、テロリストによる核攻撃が現実味を帯びてくる中で、米国では核の先制攻撃が強調されるようになって来た。元国務長官のキッシンジャー氏は「米国が核を放棄しない限り、核は拡散し続ける」と語った。

 長崎原水禁世界大会には全国から6800人が参加。閉会式には7000人が参加していた。京都からは270名が集い、他の県からは自転車でカンパを集めながら必死の思いで参加している若者たちや、核廃絶の署名をがんばって集めている高校生のグループもあった。滋賀からは26名だけであったが、核廃絶への思いをあらたにしてきた。
 
 1945年8月6日8時15分、人類史上初めての原爆が落とされた。1945年8月9日11時2分を兵器として使われた最後の原爆にしなければならない。
 核廃絶への無頓着は人類の危機への一里塚であろう。



2007年7月15日(日 ) : 『フィラデルフィア美術館展 〜
                    「ちがい」が生み出す躍動感!!』

 軽く手を組んだブロンドの少女が愛らしく微笑みこちらを見ている。駅の雑踏の中で一枚のポスターの前で思わず足が止まった。京都市美術館で開かれているフィラデルフィア美術館展に出展されている、ピエール=オーギュスト・ルノワールの『ルグラン嬢の肖像』であった。そこだけが明るく輝いていた。

 フィラデルフィア美術館展は『印象派と20世紀の美術』のテーマで開催されていた。ルノワールをはじめとし、ピカソ、マティス、オキーフたち印象派や20世紀を代表する作家達の作品が展示されていた。エドガー・ドガの『室内』はほの暗い卓上スタンドの光にぼんやりと照らし出される19世紀の仏の住宅の内装が、当時の流行を映し出していて興味深い。

 絵画だけでなく彫刻も何点か展示されていた。そのなかでも端正な顔立ちの道化師の頭から肩にかけての像が光の中でじっと静かに前を見つめていた。パブロ・ピカソの作品だった。この像が当時の彫刻家たちに衝撃を与えたという。

 何が衝撃を与えたのか。像の周りを何度も回りながら見続けた。
少しずつすべてが違っていた。真っすぐに見ていると思っていたが、僅かに首を右に傾けている。左眼と右眼の窪みが僅かに違う。左耳と右耳は形も高さも違う。真ん中についていたと思っていた鼻は僅かに左にずれている。すべてが対称ではなかった。

 すべての人がまったく同じ人が独りもいないように、一人の人間の中でもまったく同じものはひとつも無いことにあらためて気づかされた。その僅かな違い、少しずつのずれが躍動感を生み、作品に生命感を吹き込んでいた。

 芸術家たちの作品は生きるものたちに多くの示唆を与え、一人ひとりが違うことに気づかせ、励ましてくれる。フィラデルフィア美術館展は9月24日まで開催している。


2007年6月26日(火 ) : 『怒る谷根千・・・』

 
谷根千(やねせん)がいま元気です。東京の谷中・根津・千駄木の地域を略して「谷根千」と呼ばれています。この界隈は関東大震災にも、戦災にも焼けずに残ったところで、ここで生まれ育ったひとたちが元気に住み続けています。

まちの健康をつくるのは、人と人とのつながりの強さです。古い建物が多く残る谷根千ではそのつながりが防災にも役立っているのです。
お互いに迷惑を掛けない、火事を出さない、とお互いに細かく気を配りあう。
いったん火が出れば勝手知ったる前の家にホースを通して火を消してしまう。

人のつながりがある街は、お年寄りにも住みやすいのです。近所の人が見守ってくれるから、何かあったらすぐ分かります。他のところでは何ヶ月も分からないということがよく起きています。

そのお年寄りたちを大増税がおそっています。
定率減税が06年度に半減され、今年に全廃されてしまいました。
さらに05年度まで低所得の高齢者は住民税非課税だったのが、06年度からこの制度が廃止されたことによって、住民税が3〜4倍になった高齢者が続出してきました。

定率減税廃止による増税は全体で1兆7000億にものぼっているのです。

その上に来年4月から後期高齢者医療制度が待ち受けています。
75歳以上の1300万人から年間平均7万5千円の保険料が死ぬまで年金から天引きされるのです。
介護保険料と合わせると月額1万円になる。1割の窓口負担とあわせて大幅な負担増となってくるのです。

「生きる」為のわずかな年金から天引きするとは!こんな制度を許していいのだろうか。

健康な街づくりには、同友会のめざす、安心して「生きる」ことができ、ひとり一人の「暮らし」が守られ、そこに生活する人々がみんな「人間らしく生きる」地域づくり、社会づくりが欠かせないのです。

全国にある谷根千のお年寄りたちがもっと元気になるように。
 

2007年6月10日(日) : 『見えない恐怖・・・』

 私たちの廻りには様々な電磁波が飛び交っています。その電磁波が人体に様々な影響を与えていることが世界各国で問題になってきました。
 
 頭痛やめまいなどを起こす「電磁波過敏症」はスウェーデンでは身体障害の一つとして認められ、対策が講じられているのです。電磁波を浴びることと小児ガンや脳腫瘍、アルツハイマー症との関係に警鐘を鳴らす研究者が世界中で増えてきました。

「電子レンジ作動中は1m以内に近づくな」とか「携帯電話は頭に当てずにイヤフォンで」などの警告をしています。

 最近増えてきているIH調理器はとても強い電磁波を出しているのです。IH調理器は丁度大人の腰の高さになります。もし調理している人が妊娠していれば、おなかの中の胎児が一番IH調理器の近くにいることになり、お腹の赤ちゃんともどもお母さんは強い電磁波を浴びることになるのです。

小さな子どもにとってはIH調理器は丁度頭の高さであり、大人よりもはるかに大きな影響を脳に対して受けることになってしまうのです。

「暮らしの手帳」で2003年IHクッキングヒーター特集が2ヶ月にわたって組まれました。
最初の号での結論は「まことに不都合な調理器具」でした。理由は二つありました。

 1つは、台所道具の基本的な役割を果たしていないこと。台所道具は能率よく調理する為のものなのに、この機械は人の意思とは無関係に火力を制御し、強火を生かした料理は作りにくい。逆にフライパンが赤熱しても、すぐに安全装置が働かない。そしてフライパンやなべを傷める。これでは台所道具とは言えない。

 2つ目は、ガスという安価で 有効なエネルギー源があるのに、あえて、電気を使い値段も高いIHヒーターを使うよさが見つからないのである。裸火が出ないことは一見安全そうだが、逆に危険も生まれている。火加減の調節ミスやフライパンの赤熱化である。
そもそも裸火の危険は、台所の危険のひとつにすぎない。台所には、たぎった湯や熱い油もあるのだ。

 また、50ヘルツから1万6千ヘルツの電磁波が、調理中に発生していた。電磁波の強さは、立つ位置やなべの置き方で変わる。人の健康やペースメーカーなどの医療器具への懸念が取りざたされている現在、あえて電磁波の発生する道具を台所に持ち込む必要はない。

「暮らしの手帳」ではこのように結論付けられました。

日本ではオール電化住宅が人気を集めています。健康に対して様々な危険があり得るのに、電磁波充満住宅が逆にふえてきているのです。日本の中では電磁波によるリスクがほとんど知られていない。いや、知らされていないのです。目には見えないだけに知らされないと防ぎようがないのに・・・・・・

この電磁波に対して、日本では人体への影響を考えた法的な規制がありません。
しかし、電磁波が私たちの身体に何らかの悪い影響をもたらす危険性は否定できません。

EU諸国では「危険な可能性がある限り、安全性が確認されるまで排除しよう」という予防原則をとっています。「環境基準は最も弱い乳幼児の立場で考える」ことが、常識になりつつあります。

日本では経済活動優先の論理がまかり通っているのです。一般市民の健康問題は、後回しにされているといえるでしょう。

見えないものを見通す目がますます大切となってきたようです。


2007年2月17日(土) : 『乃木坂の国立新美術館へ行く・・・』

   ロイドめがねにおかっぱ頭のピアスをつけた男性が猫を抱いている。戦前パリの画壇で大活躍をした日本人、藤田嗣治の自画像が迎えてくれました。藤田はいまでもパリの画壇でもっとも有名な日本人なんだそうです。

 藤田の作品が展示されていた作品展「異邦人たちのパリ1900−2005」は、この1月に開館した、国立新美術館の開館記念展として開催されていました。20世紀のパリ画壇を舞台に活躍した外国人芸術家たちの作品を、戦前・戦後・80年代まで・現在までの、4つの時代に分けて展示されているのを、イヤホーンガイドの説明を聞きながらゆっくり見ることができました。

 それぞれの時代、芸術家たちはしなやかでしたたかにパリで作品を作り続けていました。ピカソ、モディリアーニ、シャガール、カディンスキー、マン・レイたちは、母国では発揮できない才能をパリで開花させていたのです。それはそれはとても、興味深い展示でした。

 国立新美術館の3階にはリヨンに三ツ星レストランを持つ、ポールボキューズ氏のブラッセリーが世界で初めて海外に登場したことでも人気を集めているようです。開館と同時に11時にOPENするブラッセリーに直行し、並んでいる人たちがいました。最初は何で並んでいるのか分からなかったのですが、ここも目玉の一つのようでした。

 国立新美術館は、有機的にうねるガラスのファサードに包まれた吹抜の空間に逆円錐形の二つのコーンが浮かび、壁面を覆う木製ルーバーの奥の壁がオレンジ色に光る、とても印象的な美術館です。

 二・二六事件の舞台ともなった旧陸軍歩兵第3連隊兵舎の跡地に建てられたこの国立新美術館は建築家、黒川紀章氏が設計した最新作でもあり、建物を見るのも目的で行ってきたんです。

 その黒川紀章氏が4月の東京都知事選で、東京への五輪招致中止などの公約を掲げ、立候補することを発表しているのをTVで見て、少しびっくりしました。高額出張費問題などで都政の私物化が問題になっている石原都知事の政治手法を「ごう慢だ」としていくつかの公約を発表して立候補したようです。その記者会見の話を聞いていて、「建築家 黒川紀章」のイメージと「都知事候補 黒川紀章」は ちょっと違う人間のように感じていました。

 公約を聞いていても、その主張の中に都民、住民や地域のいきいきとした生活の姿は浮かび上がってこないんです。そういえば黒川紀章の作品の中で銀座のカプセルホテルがあることを思い出しました。それは建築の部分を機械のパーツのように取替えできるシステマティックな建物で、建築と言うよりは住む機械のようです。

 そういう所から見ると、黒川紀章の建築と都知事選出馬は内在するのもは同じようです。でも、人間の生活感の無い作品は建築だけにしておいて欲しかったな・・と感じています。

2007年2月11日(日) : 『沖縄のこころを見た・・・』

   長女が昨年から生活している沖縄にいってきました。ブティックに勤める次女も休みを合わせて同行することになり、娘二人とのツアーが実現!次女がぜひとも行きたい、と言っていた『ひめゆり祈念資料館』に行くことにしました。
沖縄戦の終盤 玉砕戦法に出た日本軍の従軍看護婦として動員された240名の女学生の顔写真が祈念資料館の来館者を迎え、圧倒されました。

彼女たちは16歳から18歳の若さで血の海の修羅場に放り込まれたのでした。
生き残ったひめゆり部隊の証言者たちの語りがビデオで流されていたり、彼女たちの思いを綴ったノートが展示されていて、声も出ません・・

彼女たちの親はどんな思いで送り出したのだろう・・二人の娘たちと見て歩きながらとっても悲しくなりました。

そこから4キロほど離れた魔文仁の丘に沖縄県平和祈念資料館がありました。
白い近代的な建物の上に、沖縄特有の赤瓦の屋根が連なり、沖縄らしい雰囲気をいっぱい醸し出す、とっても美しい建物です。(「すてきな建物紹介」に掲載予定)

その資料館には、明治時代に日本に無理やりに併合された琉球王国の歴史からはじまり、日本で唯一の地上戦となった沖縄戦の詳細な展示だけでなく、戦後の45年から72年まで続くアメリカによる統治のもとでの様子が、実物大の町並みの模型や写真、資料で展示されていました。

「愛国心」の名の下に突入していった悲惨な戦争・・・
昨年から沖縄で暮らしている娘が「沖縄の人の心に潜む悲しみと強さを見た気がする・・」「なんで今また愛国心・・なんて国会で言っているの?」と、つぶやいていた。

平和記念館の広い庭に おびただしい数の戦没者の黒御影石の慰霊碑が海に向かって並んでいました。


2007年1月1日(月) : 『宇宙の歴史に新たな瞬間を・・・』

   私たちの生命には、150億年の宇宙の歴史が刻まれ、地球46億年の大変動が隠されています。

 今の地球をつくっている物質はだいたい92の元素から成り立っています。原始の宇宙は水素とヘリウムだけの単純で単調な世界でした。太陽クラスの星が死ぬ時、赤色巨星と呼ばれる大膨張を遂げ、巨大なエネルギーで炭素や酸素を創りだしました。太陽より何十倍も大きい星が死ぬ時、超新星爆発と呼ばれる大爆発をおこし、はるかに巨大なエネルギーで残りの元素を一気に創りだしました。私たちの生命には、宇宙の歴史が息づいているのです。

 地球46億年の歴史を1年に例えると、1日はおよそ126万年、1秒はおよそ150年となります。この尺度で行くと、生命の誕生は1月後半から2月半ばの出来事になり、人間の出現は実に12月31日午後11時37分(20万年前)であり、気の遠くなるような地球の歴史を受け継いで、地球上に登場したのでした。

 滋賀の精密加工々場の経営者が台湾の企業を視察に行きました。その企業は高精度の加工を日本の半分の単価で請け負っています。チリ一つない大きな明るい工場で、多数の精密工作機械がフル稼働していました。加工々程は徹底的にマニュアル化され、誰がやっても同じ精度でできるように工夫されていました。

 その企業の社長はオランダ人。自宅はアメリカ西海岸。幹部社員は台湾人。実際に働いている社員はほとんどがフィリピン人で、台湾人の半分以下の賃金で働いていたのです。でも、そこにあるのは地域づくりではなく、自分の会社の利益だけでした。

 私たちは地球の歴史の一瞬を生きているに過ぎないのですが、決してはかないものではありません。その一瞬を、人類すべての幸せを目指し、必死に生きているのです。

 今年も46億年の地球の歴史と、150億年の宇宙の歴史に新たな瞬間を刻んでいきたい、と思いあらたに!


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HFD E-Mail : hfd@skyblue.ocn.ne.jp まで

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