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****2004年2〜4月号****
《バックナンバー》 2002年/2003年/2004年1月・
『つ ぶ や き』2004年2〜4月号 |
2004年4月15日(木)・・・『いまの憲法はもう古い??・・・』・・ テレビの画面に3人のイラク日本人人質の無事な姿が映し出された瞬間、思わず飛び上がって肩を抱き合い喜びを爆発させた家族達・・・・イラクの子ども達を救おうとした日本の若者達がイラク武装勢力から無事に解放された瞬間でした。 「自衛隊を撤退させない!」イラク武装勢力からの要求を小泉首相はじめ各閣僚は即座に拒否を表明した。人道支援に向かっていた若者達を人道支援に向かっていたはずの自衛隊が見殺しにした瞬間である。本来テロと戦うために派遣したのでは無いはずなのに、「テロには屈しない」との一見もっともらしい理屈をつけて人質家族の要請を一蹴した。 イラクへの自衛隊の派遣は戦後の日本の進路を大きく右に旋回させる極めて重大な進路の変更であり、憲法違反の派兵だと多くの人が日本の各地で反対の声をあげた。一人で5000筆を越える派兵反対の署名を集め、政府に届けた女子高校生も生まれた。小泉首相はその高校生の願いを無残に無視した。 自衛隊をごり押しでイラクに派遣した勢力は、派遣は憲法違反ではないと言いながら、その日本国憲法はもう今の情勢に合わない古い憲法だから、改正する必要があるとまで言い出している。 憲法学者の中では今の日本国憲法は極めて先進的な内容をもつものであり、今なおその価値が高まりつづけていると言うのが通説となっている。今の憲法は20世紀前半までの世界の憲法の到達点を踏まえて創られた憲法であり、21世紀を先取りした内容となっている極めて優れた憲法である。「古い」とは憲法を知らないものの言うことだと憲法学者は言う。 世界に誇れる日本国憲法は、人権や民主制は、すでにこの日本に実現しているのではないのです。憲法のめざす社会をみんなで力をあわせてひとつひとつ実現させていくもの、勝ち取っていくものだったのです。
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2004年3月15日(月)・・・『日本は砂漠かツンドラか・・・』・・ 丹波町の養鶏場で鳥インフルエンザが大発生。鳥が死に始めてからむしろ出荷を早めると言う、浅田農産の信じがたいモラルの欠如から被害は京都、兵庫、香川に一気に拡大。浅田農場の鳥が滋賀では大津と長浜に出荷されていたとの報道後、大津市の学校給食から鳥が消えた。 最近ではアメリカ産の牛肉からBSEが検出され、輸入が停止された。アメリカ政府は日本の消費者を侮っているのか、BSEの全頭検査を実施せず、今なお輸入解除には至っていない。全国の牛丼チェーン店から牛丼が消えた。 1月22日タイ政府が、人間の子どもに鳥インフルエンザが感染したと発表。日本政府はタイからの鶏肉・加工食品の輸入停止を発表。日本の焼き鳥業界が深刻な鶏肉不足に襲われている。 外国で起こった問題で、即座に日本の台所事情がピンチになる。いったい日本の食糧事情はどうなっているのか。 日本の食糧自給率は、砂漠かツンドラ地帯の国並みの39%。小麦は91%を輸入に頼っている。しかも輸入コストを抑えるために常温で運んでいるが、虫がつきやすいので環境ホルモンの一種、有機リン酸系のマラチオンを収穫後に散布している。市販や学校給食のパンのほとんどにこの小麦が使われている。 輸入小麦や大豆を餌にしている淡路島モンキーセンターで、手足に障害を持つサルがたくさん生まれ、母猿の肝臓から高濃度の有機塩素系物質が検出された。 私達の健康が脅かされている・・・!! 「生きる」という原点に立ち、経済のあり方、食糧・農業・健康の問題に真剣に取り組まなければならない時点に私達は立っている。
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2004年2月20日(金)・・・『二人だけで生きたかった・・』・・ 「病気の妻を連れて行きます・・・・」と遺書をのこして・・・・・・・・・・ 老夫婦心中の周辺を探る。老人福祉の現状は・・・ 深刻な状況がNHKのアーカイブ特集で放送されていた。 石塚さんの奥さんは1年程前老人性痴呆症を患った。老人の無理心中は89年に24件。90年36件。この番組が最初に放送された91年2月 その年すでに10件起こっている。 石塚さん夫妻は新潟出身の人もうらやむ仲のいい夫婦でした。しかし老人性うつ病と糖尿病にかかってからその生活が一変した。介護を続ける石塚さんは日ごとに疲れを蓄積していった。 息子と同居して4ヶ月目・・二人は突然心中の旅に出て行ってしまった。 二人は息子夫婦の6帖間でひっそりと暮らしていた。しかしあくまでそれは間借りでしかない。石塚さんは特別養護老人ホームへの要望を市に出していた。二人は入所条件を満たしていなかった。大田区では1ヶ月に一度入所審査が行われていた。 あきらめたその矢先、奥さんが病院から失踪。息子夫婦が特別養護老人ホーム申請の事実を知る。同居するのがなぜいやなのか・・と、話し合いを続けた。 石塚さんは息子であっても面倒を見られるのに我慢が出来なかったのです。なぜか・・・ 3週間後二人は姿を消した。生まれ故郷の新潟県大島村の近くの温泉を泊まり歩く。松之山温泉に泊まった次の日から二人の足取りが途絶えた。 人間として最小限の姿を維持していきたい・・・妻が入院したとき、悄然と肩を落とす父・・・自らが倒れるまで二人で生きていくことを望む父・・・・夫が一番心配しているのは妻が二人の思い出をすっかり忘れてしまうことなのです。 石塚さんは赤倉温泉に現れていた。東京に帰る・・・と言い残して二人はタクシーで海沿いの道を走り、とあるみやげ物の前で降りる。そこの民宿が最後の宿となった。翌朝宿を出たあと、二人はゆっくりと海に向かって歩いていった。家を出てから25日が過ぎていた。その日の日本海は波穏やかでした・・・・・・・・ 生きる、暮らす、人間らしく暮らすという 人間の尊厳性の根源を問い直しつづけていきたい。
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