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****2006年号****

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『つ ぶ や き』2006年

2006年11月16日(木) ・・・『訪問看護でどんどん元気・・』

 84歳の母親が昨年から圧迫骨折で介護保険の要支援に認定され、介護ベッドを入れての生活が続いてきました。
体力を回復しようと、バランスの取れた食事を朝からしっかりと採るようにしたり、医療生協の保健講座で教えてもらった「椅子に座ったままでできる健康体操」を伝えて、できる体操を少しずつ家の中でするようにはなってきました。

それでもからだの筋肉がなかなかほぐれずににぶい痛みが続くらしくって、「腰のあたりがいつも痛いよ・・」「肩が痛くって上の棚の湯のみがとれないんだよ・・」「このごろ冷蔵庫の扉が重くってあけられない・・」ってぼやいていました。

そこで先日、市の介護福祉課から来られたケアマネージャーのプランで、訪問看護によるリハビリを開始することになりました。

その翌日、さっそく医療生協の訪問看護センターなないろから、元気な看護婦さんがやってきました。笑顔のとってもすてきなふくよかな看護師さんで、どんな看護師さんがくるのか・・と心配顔をしていた母親もすっかり安心した様子でした。

次の日、母親が「なんだか肩が軽くなった――!」「腰も不思議なほど痛くなー―い」とにっこり!!一日でそんなに変わるものだろうか・・すっごーーい!!とびっくりしたのですけど、とっても雄弁になった母親の話を聞いているうちに気がつきました。

とっても元気な看護師さんが、リハビリの体操をしながら、じっくりと母親の話を聞いていただいただけでなく、母親が絵を描く事が好きなことを聞き出し、手近にあった紙の裏に来年の干支のいのししの絵を描くことをすすめ、いっぱいいっぱい褒めていただいたようです。好きなことをいっぱい話し、描きたかった絵を久しぶりに描き、褒めてもらったことが元気になった最大の要因のようです!!

やっぱりリハビリで一番大事なのは、人と人との関わりなんですね。話をすること、話を聞くこと、笑うこと、声を出すこと・・いっぱい刺激をもらって、関わり合いを持つことがひとを一番元気にさせるんですね・・!! 納得!!

2006年11月05日(日) ・・・『歯根手術と硫黄島』・・・

 2日の木曜日、大津市民病院で歯根嚢胞摘出手術を受けました。手術そのものは順調そのもので30分ぐらいですんだのですが、口の中を何針か縫っているのであとが大変!!
 その晩からどんどん腫れはじめ、次の朝鏡を見てびっくりしました。
まるで『猿の惑星』です・・!!頬もふくれて、娘は「お父さん、リスみたい!!」と人の痛さも知らずに、笑い転げていました。

幸い3日から3連休です。ひたすらじっと家の中ですごしていたのですが、最終日の5日に映画を見に行くことにしました。クリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』をみたのですが、意外なほどシリアスな映画でした。

ひとり一人の兵隊を大事にすると言いながら、間違って海に落ちた兵隊を、そのまま見捨てていく海軍の艦隊。米海軍の硫黄島上陸作戦ですり鉢山の頂上に星条旗を立てた兵士を英雄扱いにし、米国の戦時国債を国民に買わせる宣伝マンとしてフルに利用する米国政府首脳の意図に翻弄される『英雄』たち・・・

中でも実際は人違いで英雄扱いにされたアメリカ原住民の兵士は、欺瞞に満ちた行為と、原住民差別に苦しみ、酒におぼれていく様を克明に描き出していく・・・・
クリント・イーストウッドの、戦争をすすめていった米国政府や軍幹部に対する厳しい視点が小気味よい出来となっていました。

12月に公開される 第2部の「日本側から見た硫黄島の戦い」が期待できそうだ・・    

2006年10月13日(金) ・・・『魁夷と康成と忠彦と・・』・・・

  白馬と森」という青と白を基調とした幻想的な風景画をご存知でしょうか。観る者を静寂の世界に引き込んでしまいそうな、日本画家であり風景画家の第一人者のひとり、東山魁夷の代表作です。

 長野で開催された、同友会の広報・情報化全国交流集会に参加した後 善光寺に隣接する長野県信濃美術館を訪れました。そこでは「川端康成の眼力。東山魁夷との知られざる交遊展」が、写真家林忠彦のポートレートを中心に展示されていました。

女性写真家として名高い林忠彦が、川端康成を40年にわたって撮りつづけていた事には驚かされました。そしてその写真には、作家川端康成のほとばしるエネルギーを、余すところなく写し撮っていた。ロダンの小さな彫刻を見つめる眼差しはまさに「眼力」であった。

その川端康成と東山魁夷が親交を深めていた様子を林忠彦がとらえていました。作家、画家、写真家、3人の巨匠のエネルギーが美術館に充満して濃密な空気があふれていました。

魁夷の思わず吸い込まれてしまいそうな風景画は、強く緊張した康成の精神をゆっくりとほぐしていったのでしょう。康成の魁夷に贈った手紙の中に、「旅から戻った時には床の間に飾ったあなたの画を見るのがたのしみです」としたためていました。

美術館の別館の
東山魁夷館には魁夷の代表作が数多く常設展示されていました。
その中でも、出口近くに展示されていた「木枯らし舞う」という大作の前で思わず立ち尽くしてしまいました。森の中の小径の周りを 木枯らしに舞い上がった枯葉が木漏れ日の夕陽に染められて、黄金色に輝いているのです。

枯葉の一枚一枚が生命感を持って生きているように感じました。 圧倒される画を見ながら、強烈なエネルギーをもらって帰ってきました。

長野に行かれる事があればぜひおすすめの美術館です。善光寺のすぐとなりに建っています。

2006年8月6日(日) ・・・『広島61回目原爆の日!』・・・

  8月5日、しが健康医療生協が開催した「平和の集い」で広島原爆の惨禍を訴える写真展を見た。あまりにむごい被爆者の姿にあらためてショックでした。その翌日の8月6日、広島でおこなわれた平和祈念式で、秋葉忠利市長の行った平和宣言!その言葉のひとつひとつが、とても重い。

 以下は平和宣言の全文です ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  放射線、熱風、爆風、そしてその相乗作用が現世の地獄を作り出してから61年。悪魔に魅入られ核兵器の奴隷と化した国の数はいや増し、人類は今、全ての国が奴隷となるか、全ての国が自由となるかの岐路に立たされています。それはまた、都市が、その中でも特に罪のない子どもたちが、核兵器の攻撃目標でありつづけて良いのか、と問うことでもあります。

 一点の曇りもなく答えは明らかです。世界を核兵器から開放する道筋も、これまでの61年間が明確に示しています。

 被爆者たちは、死を選んだとしても誰も非難できない地獄から、生と未来に向かっての歩みを始めました。心身をさいなむ傷病苦を乗り越えて自らの体験を語り続け、あらゆる差別や誹謗・中傷をはね返して「他の誰にもこんな思いをさせてはならない」と訴えつづけてきたのです。その声は、心ある世界の市民に広がり、力強い大合唱になりつつあります。

 「核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある」がその基調です。しかし、世界政治のリーダーたちはその声を無視し続けています。10年前、世界市民の創造力と活動が勝ち取った国際司法刑務所による勧告的意見は、彼らの蒙(もう)を啓(ひら)き真実に目を向けさせるために、極めて有効な手段となるはずでした。

 国際司法裁判所は、「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に反する」との判断を下した上で、「すべての国家には、すべての局面において核軍縮につながる交渉を、誠実に行い完了させる義務がある」と述べているからです。

 核保有国が率先して、誠実にこの義務を果たしていれば、既に核兵器は廃絶されていたはずです。しかし、この10年間、多くの国々、そして市民もこの義務を真正面からは受け止めませんでした。私たちはそうした反省の上に立って、加盟都市が1403に増えた平和市長会議と共に、核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求めるキャンペーンを「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動」の第2期の出発点として位置付け展開します。さらに核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするなプロジェクト」に、取り組みます。

 核兵器は都市を破滅させることを目的とした非人道的かつ非合法な兵器です。私たちの目的は、これまで都市を人質として利用してきた「核抑止論」そして「核の傘」の虚妄を暴き、人道的・合法的な立場から市民の生存権を守ることにあります。

 この取り組みの先頭を切っているのは、米国の1139都市が加盟する全米市長会議です。本年6月の総会で同会議は、自国を含む核保有国に対して核攻撃の標的から都市を外すことを求める決議を採択しました。

 迷える羊たちを核兵器による呪いから解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意思と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起つ時がきたのです。

 日本国政府には、被爆者や市民の代弁者として、核保有国に対して「核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果たせ」と迫る、世界的運動を展開するよう要請します。そのためにも世界に誇るべき平和憲法を遵守し、さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した人間本位の温かい援護策を充実するよう求めます。
 いまだに氏名さえ分からぬ多くの死没者の霊安かれと、今年改めて、「氏名不詳者多数」の言葉を添えた名簿を慰霊碑に奉納しました。すべての原爆犠牲者の御霊に哀悼の誠をささげ、人類の未来の安寧を祈って合掌します。   広島市長 秋葉忠利
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いま原爆そのものはかろうじて使用は抑制されているが、アメリカ軍が使用している劣化ウラン弾が放射能汚染を、被爆者を生み出しつづけているのです。アメリカは溜まりつづける原発での核廃棄物の有効利用として劣化ウラン弾の開発を行ったとTV報道されていた。原発で環境を汚染しながらその廃棄物を武器として地球上にばら撒きつづける二重の犯罪行為なのです。・・・・・・・・・・・・・(以上 引用しました)

 人が安心して寛ぐことの出来るすまい創りにたずさわる者として、平和をめざす取り組みは欠かすことの出来ない課題です。

2006年7月13日(木) ・・・『金沢駅前の異形・・鼓門をみる』・・・

  JR金沢駅に何年か振りに降り立つと、何か様子が変でした。金沢らしい風が感じられないのです。ふと上を見上げると巨大な硝子のドームで駅前広場が覆い尽くされていました。京都駅のコンコースでふと見上げた風景を思い出してしまいました。「もてなしドーム」という名前がついているのだそうだ。

その硝子のシェルターを横切って突き抜けようとすると、これもまた集成材の柱を束ねて捻り合わせて創り出した巨大な柱で造った異形の門が、シェルターの出口に立ちはだかっていました。まるで「もてなしドーム」とその巨大さを競い合うかのように・・その名は「つづみ門」と名づけられていました。

金沢で開かれた中小企業家同友会全国協議会の全国総会で、金沢市長は挨拶の中で「一人の建築家の作品ではなく建築技師、土木技師、都市計画技師のコラボレーションでできた作品です」と紹介していた。

違和感の原因がわかった。何が『金沢』を象徴する物なのか。そのコンセプトを「もてなしドーム」が、「つづみ門」が、それぞれ目いっぱい主張し合ってしまったのです。もてなしドームだけなら周囲に広がる水平性を確保できたでしょう。鼓門だけならその象徴性をより際立たせることができたと思います。

その全体を掌握するコントロールがなされなかったことでそれぞれのエネルギーが消去しあってしまったようです。最もこのような巨大な「公共事業」そのものの必要性はもっと論議されるべきでしょうけどね・・

2006年7月1日(日) ・・・『COCON烏丸に行きましたか?』・・・

  京都の4条烏丸にあるCOCON烏丸が、なかなか面白い。古いビルの前に硝子のスクリーンをダブルスキンで配置し、歩道を歩く人からの印象を一変させているのです。ただの硝子の表皮ではなく、プリントされたフィルムが挟み込まれています。その模様はなんとも京都らしい柄が刷り込まれています。京都にある江戸時代からの老舗の唐紙屋さん(ふすま紙屋さん)、唐長に伝わる唐紙柄の『天平大雲』を刷り込んだのだと言う。

建物の中に足を踏み入れると、白一色のペンキで塗られた空間が拡がっていました。天井高が低く、外壁の開口部が小さい昔のビルの欠点を真っ白に塗りつぶすことによって、狭さ、暗さを手造り感を持って払拭していて、レトロ感が楽しめる空間となって親しめた。
真っ白な中二階のイタリアンレストランに入り、窓際で食事。真っ白なテーブルクロスに並んだ食器が、全て真っ白な磁器の食器・・イメージカラーは『白』と意思統一が図られているようです。

館内にはインテリアやデザインショップがあり、建築家ミース・ファンデル・ローエのデザインしたイスなども展示されていたのだが、古いビルのフロアーがそのまま残されているのに興味があった。古いビルに良く使われている寄木のフローリングなのだがしっかりとした堅木でつくられていて、歩いているだけで重厚感と歴史の重みを感じる床でした。
古いビルの価値を引き出し、現代感を組み合わせた建物で、探訪の価値あり!!

2006年6月10日(土) ・・・『表参道ヒルズ考』・・・

  先日、表参道ヒルズを見に行ってきました。安藤忠雄の作品で、歴史的な同潤会アパートの建替えプロジェクトとして、大いに賛否両論を巻き起こしてきた、曰くつきの建物です。ある程度間口をあわせた建物が立ち並んでいる、表参道です。その数倍にも上る間口に立ちはだかるその巨大さが、ヒューマンスケールの欅並木に調和しない、と物議をかもしていたのです。京都駅が改築された時の論争と似ています。

表参道ヒルズの中に入ると地上3階から地下3階まで巨大な吹抜の廻りを、スロープがスパイラル状にとり巻き、スロープに沿って様々な店舗がちりばめられていました。原宿駅からズー‐と下がってくる街路のスロープと同じ勾配にしていると言うことなのだが、街路の緩やかな水平性に比べて、巨大な吹抜の垂直性は、まっすぐな街路空間と屹立していました。欅並木の一部にぽっかりとあいた大きな深い淵のようでした。

表参道ヒルズを出たところに同潤会アパートを記念碑的に残した、同潤館が建てられていました。外の街路から同潤館を見て思わず笑ってしまいました。同潤会アパートの全く同じコピーが造り出されていたのです。鉄筋コンクリート造の庇の下に埋め込まれたフラットバーで造られた物干し金物・・全く役割の無いものまでむやみに再現されていたものですから・・

表参道ヒルズも京都駅のように地域性を無視した建物として存在しつづけていくのでしょうか・・

2006年5月1日(月・メーデー) ・・・『セカンドオピニオンをご存知ですか?』・・・

  医療生協の班会で「患者の権利章典」とセカンドオピニオンについて、学びました。

患者の権利章典にある、患者の知る権利に基づいて、医療生協ではセカンドオピニオンに積極的に取り組んでいます。

セカンドオピニオンとは、自分の病気について、主治医だけで
なく、第3者の医者の判断を聞いて納得して治療を進めていく制度なのです。

患者が医者と対等な権利として、自らの病気とその治療方針について、複数の医者からの判断を聞く機会を保証する為の制度で、主治医がその病気について、適切な判断を下せる他の医者をきちんと紹介し、その医者の判断も今後の治療方針に組み込んでいき、患者が納得して治療を受けることを保証する制度です。

あらためて「患者の権利章典」にある、5つの権利と「参加と協同」という1つの義務について、調べてみました。

医療生協の「患者の権利章典」とは、組合員自身のいのちをはぐくみ、いとおしみ、 そのために自らを律するもので、 同時に、組合員・地域住民すべてのいのちを、 みんなで大切にし、支え合う、医療における民主主義と住民参加を保障する、 医療における人権宣言だと、規定されています。

患者には、闘病の主体者として、以下の権利と責任があるとしるされています。

知る権利:病名、病状(検査の結果を含む)、予後(病気の見込み)、 診療計画、
     処置や手術(選択の理由、その内容)、 薬の名前や作用・副作用、
     必要な費用などについて、納得できるまで説明を受ける権利。

自己決定権:納得できるまで説明を受けたのち、 医療従事者の提案する
      診療計画などを自分で決定する権利。

プライバシーに関する権利 : 
       個人の秘密が守られる権利および私的なことに干渉されない権利。

学習権 : 病気やその療養方法および保健・予防等について学習する権利。

受療権 : いつでも、必要かつ十分な医療サービスを、 人としてふさわしいやり方で
      受ける権利。医療保障の改善を国と自治体に要求する権利。

参加と協同 :患者みずからが、 医療従事者とともに力をあわせて、これらの権利を
       まもり発展させる責任。


なんと、まさに医療における民主主義を追及したものであることか!と、驚かされた。
ここにも憲法の精神が息づいていました。
 

2006年4月15日(日・祭) ・・・『アテネのクリステネスが・・』・・・

  紀元前6世紀末、アテネのクリステネスによって行われた改革によって生まれた政体を、デモス、つまり民衆による政体と言う意味で、「デモクラツィア」と呼ぶ。まず、市民集会の権限が強化され、20歳以上のアテネ市民が全員出席でき、一人が一票の権利を有した。

 市民集会では、他国との争いや、同盟関係、政府の役員選出まで、全てが決められた。世界史上はじめて、一般市民が国政に直接に参加できる政体、「直接民主政」が誕生したのである。

 東京都教育委員会が4月13日、職員会議で、挙手や採決によって職員の意思確認を行わないよう指示する通知を都立高など全263校の都立学校長あてに出した。「議決により校長の意思決定権を拘束することは認められない」と言う理由で。

 いま国会で教育基本法が変えられようとしている。教育や子どもの「荒れ」は教育基本法のせいとばかりに。戦前の軍国主義教育が国民を侵略戦争に駆り立てたという反省に基づき制定された教育基本法に、国による教育支配を強める条項を加え、子どもの心まで支配しようとしているのだ。そこには子ども一人ひとりを生かそうという視点はない。

 『われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。・・・・・ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する』教育基本法前文の抜粋である。これをいま、何がなんでも無理やりに変えようということは、憲法改正への布石であろうか。

 日本のあちこちで自由と民主主義が葬り去られようとしている。アテネのクリステネスが見たらどう思うであろうか。2500年後の今の日本を。 

2006年3月15日(水) ・・・『立ち上がった岩国市民』・・・

  3月12日の日曜日、岩国の住民投票で米軍艦載機の厚木基地から岩国基地への移転に、有効投票数の9割が反対の意思を表明した。これは有権者の過半数に相当する数だ。
 日米政府が三年費やして交渉してきた「在日米軍再編」の計画に、明確な住民の意思が表示されたことは、沖縄以外では画期的なことだ。が、驚いたことに政府は「まことに遺憾。国の問題に地方の住民が異議を唱えるのは筋違い」と、結果を無視した発言をしていた。国のすることに国民が意思を表明することはとんでもないと言わんばかりであった。

 投票率が50%を越えないと開票されない住民投票条例のハードルも、不条理だと思ったが、それ以上に理解しがたかったのは、岩国市議会議長を先頭に繰り広げられた「投票ボイコット運動」である。賛成か反対かの意思を表明する前に投票率を下げて投票そのものを向こうにしようという狙いだったのだろうが、その意向に反して有権者の58%が投票を行った。

 投票ボイコット運動は民主主義の根幹に背を向ける行為としか思えない。住民の投票で選ばれた市議会議員が、その住民投票による意思表明を妨げようとする行為はなんとも理解しがたい行動だ。

 同友会の理念に自主・民主・連帯の精神がある。民主は民主主義的な姿勢を会の内外で貫き通すことであり、深い意味では生命の尊厳性を尊重することである。まさに岩国の住民投票は「いのちを守る」意思の表明だ、とも言えるのだ。

 明確に示された住民の意志は重い。そして民主主義を本当の意味で根付かせる取り組みは今始まったばかりだ。自主・民主・連帯の風の吹き渡る日本社会を目指して。

2006年1月1日(日・祭) ・・・『元旦 走り初め!!』・・・

  
 元旦の夜 ランニングウェアーから湯気が立ちのぼった。切り裂いていく寒気がきもちいい。戦後61年目の年が明けた。

 大晦日の紅白歌合戦の中で 吉永小百合がパイプオルガンの荘重な旋律の中、原爆詩を朗読した。空気がピンと張り詰めた。原爆詩を受けて さだまさしが 被爆者の体験を謳う「広島の空」につなげ、森山良子が 沖縄戦の悲しみを謳う「さとうきび畑」を森山直太郎と二人で 聴くものの心に響かせてくる・・・

 元旦恒例の ウィンフィル・ニューイヤーコンサートを堪能した。アンコールで演奏された マリス・ヤンソンス指揮の「美しき青きドナウ」の旋律がランニングをしている耳に残っている。

 07年の元旦 ウィーン学友協会大ホールで開かれるニューイヤーコンサートが全世界に中継されるのを愉しむことをめざして、平和の中で。戦後61年目を走り初めです。

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