『つ ぶ や き』2009年 |
2009年 12月06日(日 ) : 大山崎の聴竹居を見学してきました・・
・・繊細なにほんの心が・・
あざやかな紅葉に彩られた
なんとも美しい建物・・
大山崎から緩やかな坂道を登っていき
聴竹居にたどり着いた時の
最初の印象でした
華奢な骨組み
細かくバランス良く区切られた
硝子窓の木製格子
これ以上なく
軽やかに仕上げられた
軒先のラインが
軽やかに紅葉の中にたたずんでいました
モンドリアンの構図から
採り入れたのだろうか・・
細い桟で組み合わされた
硝子窓の構成が
西欧の薫りを漂わせていました
板張り洋間の居間を採り入れ
環境への配慮を盛り込んだ
聴竹居は
昭和3年に
建築家・藤井厚二の
環境への配慮を盛り込んだ実験住宅です
丘を流れる涼風を
床下から室内に取り込む通風孔
室内の空気を
天井の蓋付き隙間から
自然排気する排気孔の組込みなど
現在の環境問題の取り組みの
先鞭として興味深い
西洋のプランニングや
科学的に環境を取り込む工夫など
西欧文化を十分に採り込みながら
外から観る聴竹居は
純日本的雰囲気を漂わせていました
和魂洋才
繊細な日本の心が伝わってくる
大山崎の文化遺産を
堪能することができました
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2009年 11月13日(金 ) : 益川教授『平和の大切さ 』を語る・・
・・子や孫の世代のために・・
ノーベル物理学賞を受賞した
益川敏英、京都産業大学教授が
11月8日の日曜日
立命館大学くさつキャンパスにて、
「平和の大切さ・核兵器廃絶の重要性」
について、講演を行いました
終戦時に5歳だった益川さんは、
名古屋で被災しました。
屋根瓦を突き破って、
1階にいた益川少年の目の前に
焼夷弾がころがり落ちてきました。
不発弾だったので命拾いをしましたが、
その時の恐怖が今もよぎり、
背筋が寒くなることがあると言います。
そんな思いを
子や孫の世代にさせたくないと、
「九条科学者の会」の呼びかけ人となって
平和憲法を守れと声を上げている。
益川さんの講演会と同じ11月8日、
沖縄では普天間基地の
県内移設に反対する
県民大会が開かれ
2万1千人が参加していた。
大会実行委員会共同代表の
伊波洋一・宜野湾市長は
「戦後64年も続く米軍基地の負担、
苦しみと悲しみに終止符を打つために」と
力いっぱい訴えていた。
その前日に米兵が
またもやひき逃げ死亡事故を
起こしていたことが
発覚しました。
益川さんは講演の中で
「核兵器の廃絶だけでは足りない。
すべての兵器の廃絶こそ必要だ」
と訴えていました。
すべての兵器も軍事基地も
日本にいりません
来年5月にニューヨークで
核不拡散条約(NPT)再検討会議が
開かれます。
歴史的な転換点にしようと、
滋賀県からも核兵器廃絶を願う
代表団の人たちが
14万筆の署名を携えて
持っていく予定です。
健康で安心して住み続けられる
地域づくりの前提は
平和です。
私たち一人ひとりの
平和を願う声を
世界に届けていきたいものです。
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2009年 10月22日(木 ) : 『ささら語り・説経を聴く・・ 』
・・原点の力強さに圧倒される・・・
説経(せっきょう)という古典芸能を
ご存じだろうか。
先日、よこやま光子さんのささら語りで
説経「をぐり」の物語を聴いた。
説経とは鎌倉、室町時代に始まり
江戸時代にかけて流行った芸能の一つで、
ササラを伴う「語り物」のことです。
日本の語り芸、講談や浪花節、
落語などのルーツなのです。
中世に街中の様子を描いた洛中洛外図にも
筵を敷き、
神が降りてくる目印となる
大きな傘の下で説経を語る者の廻りで
涙を浮かべて聞き入る
大衆の姿が描かれています。
説経は作家の水上勉が
復興に力を注ぎ、
物語の語り聞かせをしていた
よこやま光子がその魅力に引かれ
全国各地で語っているのです。
説経の代表的な演目、
「をぐり」「さんせう太夫」「かるかや」
「しんとく丸」「しのだ妻」の5つを
五説経とんでいる。
刻みをいれた竹を、
先を細かく裂いた竹で摺って
音を出す伴奏だけで朗々と
「をぐり」(小栗判官・照手姫の物語)が
語られる
「をぐり」の物語は、
強引に照手姫の押し入り婿となり、
怒った照手姫の父親に毒殺された小栗判官が、
閻魔大王の計らいで
餓鬼の姿で娑婆に戻され、
霊場である熊野を目指す土車を、
妻であった照手姫が夫とは知らずに引いて行く・・
という話でスケールが大きく、
時空間もこの世からあの世まで、
地名も広範囲に渡り、
「雄編」として人々に愛されてきた説経だ
さらさらと摺られる竹の音に合わせて
怪しい情念の世界が静かに、
そして激しく繰り広げられていく。
ささら語りが
聴くものに大きな感動を呼び起こしていく
ますます先行きの見えにくい現在、
古典芸能であれ何であれ、
常に原点に立ち戻り、
力強さを呼び覚ますことが
ますます必要になるのだろう。
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2009年 10月1日(木 ) : 『釈迦の心と向き合う旅・・ 』
・・生きるとは、を問い直す旅に・・・
友人の僧侶から
インドへ旅をしたフォトエッセイを
いただいた。
釈迦の心と向き合うための旅をしたのです。
釈迦は悟りを開き仏陀となった。
仏陀とは「真実に目覚めた人」という意味であり、
仏陀は自分だけでなく、
他の人々をも真実に目覚めさせようと働いている、
と僧侶の友は語る。
火葬場の町ヴァラナシーでは、
毎日遠近各地から運ばれてきた遺体が、
積み上げられた薪に載せられて焼かれ、
遺骨はすぐ目の前のガンジス川に
流されます。
ヴァラナシーの町の中には
身と心をととのえて死を待つための
「死を待つ人々の家」がたくさんあります。
駅や道端には道行く人々に
見向きもされずに
転がる死体がある。
誰ともつながりのないままの「死」は、
仕事として日々死と向き合っている
友人にとっても衝撃でした。
お経の中に
「独り生まれ、独り死に、
独り去り、独り来る」とあり、
その意味をあらためて思い、
「今あるいのちをどう思っているか」
「いのちを十分に生かしているか」
と問い直す中で、
「今ここにいること、
この世界に生きていることの不思議を思った」
と語っていた。
中小企業家のあつまりである
中小企業家同友会の理念に
「自主・民主・連帯の精神」がある。
「自主」の根源的意味は
「人間らしく生きる」こと。
「民主」の根源的意味は
「生きる」こと
「連帯」とは
「暮らしを守る」ことだ。
医療生活協同組合でも、
一人ひとりの命を大切にすること、
一人ひとりの違いを認め合い、
その能力を生かしあうこと。
お互いに助け合いながら、
健康で安心して住み続けられる地域づくり、
社会創りに取り組み続けています。
中小企業家や、
地域に住む人々のきずなを深め、
お互いの健康を守ろうと取り組む
医療生協の、
ひとつの命を大切にし、
「生きる」意味を大切にするという理念は、
仏教の世界に生きる友人の思いと
深く響き合う事となった。
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2009年 9月7日(月 ) : 『やましき 沈黙・・ 』
・・我々「オバマジョリティー」が
『やましき沈黙』であってはならない・・・
「やましき沈黙」であった・・・・
戦争末期、あってはならない『特攻作戦』を推進した
日本海軍の参謀たちが、
昭和55年以降 秘密裏に開いていた
海軍反省会で述懐した
「特攻」で亡くなった将兵は5千人以上。
ほとんどは20代の若者であった。
過ちと分かりながら
戦争遂行組織「軍令部」の暴走に
参謀たちは
口を閉ざしてしまったのだ
8月6日、秋葉忠利広島市長は
広島平和宣言の中で、
「4月のオバマ大統領のプラハ演説を支持し、
核廃絶のために活動する私たち多数派を
『オバマジョリティー』と呼び、
2020年までに核廃絶を実現しよう」
と呼びかけた。
2020年が大切なのは、
私たちの世代が核兵器を廃絶しなければ、
次の世代への最低限の責任さえ
果たしたことにはならないから、と
8月9日、田上富久長崎市長は
長崎平和宣言の中で、
「世界の皆さん、今こそ、それぞれの場所で、
それぞれの暮らしの中で、
プラハ演説への支持を
表明する取り組みを始め、
『核兵器のない世界』への道を
共に歩んでいこうではありませんか」
と
世界に呼びかけた
1998年から長崎の高校生平和大使が
国連本部や国連欧州本部を訪問し、
核廃絶と世界平和を訴え、
高い評価と多きな成果をあげている。
高校生1万人署名は
累計36万人分に達している
我々一人ひとりが声を上げなければ・・
「オバマジョリティー」が
「やましき沈黙」であっては
ならない
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2009年 7月29日(水 ) : 『恐るべし 地獄蒸し・・ 』
・・別府温泉の湯治客に伝承されてきた
『地獄蒸し』の恐るべき威力・・
TVで『地獄蒸し』を紹介していた
湯治客は 健康維持のために
キノコや野菜などを
温泉の蒸気で蒸して食べていた。
蒸してもシャキシャキする野菜を食べたい
旨味をUPしてキノコを食べたい・・
旨味を引き出す蒸し方が生み出されていた。
その名も『地獄蒸し』
地獄温泉で蒸したのだろうか・・
その秘訣は低温で蒸すこと・・!!
基本的には70℃で蒸すのです
ポイントは2つ
「弱火で」「蓋に箸をはさんで隙間をつくる」
ことなんです
この低い温度が蒸しても野菜をシャキっとさせ
しいたけの旨味を引き出し
しかも蒸した野菜は4〜5日たっても
シャキッとさせると言う
さっそく野菜を買い込んで
家でやってみた
ほうれん草・チンゲン菜・モロヘイヤは
3分蒸すだけ
茹で上がったほうれん草は
シャキッとして甘い!!
ヘナヘナしていないので
うまい!!
みょうがも3分蒸してサラダに・・
おくら・たまねぎもスライスして
地獄蒸し15分
椎茸・シメジ・舞茸は
大きく刻んで20分蒸す
キノコ類は蒸せば蒸すほど
旨味が増して来るそうだ
とうもろこしも20分で
シャキッと甘みたっぷりに・・
大量に蒸しておいて
まいにち朝晩 野菜たっぷり
サラダです
ドレッシングは
しょうゆとすりゴマを水で薄めて
たっぷりかけていただきます。
かみさんにも娘たちにも
大好評のメニューです
一度お試しあれ・・・
ほんとに美味しいから・・
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2009年 7月27日(月 ) : 『肥田舜太郎医師 92歳・・ 』
・・救済されていない「内部被爆者」
いまも生まれている「被爆者」・・
「被爆医師」肥田舜太郎、92歳。
『いのち』をテーマに語った
8月6日、広島の中心部から6q離れた農家で被爆。
取って返して被爆者の治療にあたった。
恐ろしいのは直接被爆した患者だけでなく、
翌日以降広島に入った、いわゆる入市被爆者。
外傷が全く無い患者が、
熱が出、目・鼻・口から出血し、紫斑が出、口の中が腐り、
髪の毛が抜け、2時間以内につぎつぎと死んでいった。
呼吸や飲食を通して体内に入った放射性物質は
ずっと放射線を出し続け、
長い時間をかけて人の細胞をじわじわ破壊していく。
これを「内部被爆」と呼ぶ。
戦後64年、いまだに蝕まれ続けている
実は今も世界で「被爆者」が生まれている。
核製造工場の周りの住人。
核実験場近くの住人。
劣化ウラン弾で被爆した住人。
アメリカの原子力発電所の
100マイル以内で増えている癌患者。
世界中の学者が
「こんなゆるい基準では意味が無い」
と言っている基準を「きちんと守っている」
日本の原発。
おそらく今、世界の被爆者は1000万人を超えている、
と肥田医師は警告する
オバマ大統領が4月5日、
プラハで核兵器廃絶を世界に呼びかける演説を行った。
人類にとって歴史的な意義を持つものであった
デザイナーの三宅一生が初めて被爆体験を語り、
オバマ大統領に広島に来るように要請した。
私たち一人ひとりが
出来ることは何なのか・・・
核の無い世界へ。
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2009年 6月29日(月 ) : 『長崎・9条・25条・8月9日・・ 』
・・ファットマンで7万4千人の
命が失われた日・・
長崎市長が政府に総選挙は
8月9日を避けるように申し入れを行いました。
長崎にとって、日本にとって、
とても大事な日だからです
1945年8月9日11時2分
B29ボックス・カーによって落とされた
原子爆弾ファットマンによって
7万4千人の命が奪われました。
平和を願う人々にとって
忘れてはならない日となりました。
6月11日、国会の3分の2以上の賛意をもって
改正するべき憲法に関する法律、
憲法審査会規定が衆院で与党だけで
可決されてしまいました
05年、与党の政党が
憲法9条2項を削除し、
自衛軍の保持と集団的自衛権の行使を含む、
海外での武力行使を可能とする規定を盛り込んだ
改憲案を発表しました。
その後、改憲手続き法を
強行成立させました
昨秋から顕著な派遣切りの問題で、
憲法9条だけでなく、
憲法25条の「生存権」も
大きな問題となってきました。
すべての国民に
「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を
保障し、
国の責任で
「社会保障の増進」を
すすめることを明記した憲法。
貧困と格差の広がりが
日本社会の深刻な問題になっていますが、
その解決は「自己責任」ではなく、
社会の責任で行うというのが
憲法の理念なのです
平和であってこそ、
社会を担う人たちが安心して仕事に打ち込め、
生存権が守られてこそ、
全ての人が安心して、生きていくことが出来る。
憲法問題はまさしく私たち自身の問題なのです。
国会の動きに大いに注目していきたい
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2009年 6月10日(水 ) : 『 耐震診断と耐震改修・・・ 』
・・耐震診断・耐震改修補助制度を
あなたはご存知ですか??・・
我々の住む滋賀県の琵琶湖西岸には
今津から膳所にかけて14本の活断層が走っています。
そのどれかの活断層が動けば震度7の地震が起きる。
活断層だけでなく、滋賀県を含む近畿圏を襲う東南海地震が
今後30年間の間に発生する確立が
50%をこえています。
いま行政による無料耐震診断が行われていることを
ご存知でしょうか。
1981年5月以前の木造在来工法住宅の
耐震診断が実施されています。
家のどこが弱いのか!
現状の実態を知る意義は大きい。
自治体によって違いがあるのですが、
耐震診断にもとづく耐震改修工事についても
一定の条件で補助金制度が設けられています。
日本は世界の中でも有数の地震国なのです。
今、予測しうる事態に対して、
備えをしてし過ぎる事はありません。
耐震診断と耐震改修補助の制度を
活用したいものです。
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2009年 5月19日(火 ) : 『 自発性の回路を育め・・・ 』
『私たち、モノじゃない』
あちこちの街角でこんなポスターが目につくようになった。
企業に都合よく扱われてきた派遣社員たちが
声を上げ始めたのです。
脳科学者が育ての極意を語っていました。
『部下を育てる・子どもを育てる・自分を育てるというのは、
みんな同じだ。』
『人間の脳には限界がない。
無限に成長できるのです』
脳には自発性の回路があらかじめ備わっているのです。
自発性の回路は何で育くんでもいいのです。
一番いけないのは、
「あれをやりなさい」「これをやりなさい」と強制すること。
脳は強制できない、というのは
脳科学の第一法則なのです。
脳が自発的にやる気にならなければ
何もはじまらないのです。
あえて教えない。
人に教えられた場合よりも、自分で答えを見つけたときの方が、
喜びや快感を生み出すドーパミンという物質が
より多く脳内に放出されるということが
近年分かってきた。
自発性を尊重することが、脳の可能性を一番生かすことになり、
最大限の効果を引き出すのです
自発性はいつ出るかわからない。
だから粘り強く待ち続けるのが基本なのです。
ただし相手の様子をよく観察することが大切です。
観察するのは相手の微妙な変化。
わずかな疑問や興味などの『自発性の芽』は
よく観察していないと見えてきません。
そこには相手を心からいつくしむ
人間としての温かさがあふれているのです。
ヒトをモノ扱いして育てることはできません。
人間らしく働ける職場を!!
人間をモノ扱いにする派遣制度そのものが
人間社会を破壊していく。
一人ひとりの自発性を育み、
無限に成長し合える社会を創りたいものです。
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2009年 4月14日(火 ) : 『 ドイツのエコな暮らし パート2・・ 』
環境のために、暮らし方を変えてみよう。
先々月に紹介した、92年に『環境首都』の称号を得た
ドイツの小都市フライブルクの取り組み紹介の続編だ
野菜、パン、ミルクだけでなくワインも知人が作っている。
料理やワインの向こうに作った人の姿が想像でき、
そこには物語がある。
街の中心の農家の青空市では、
声をかけて会話をしないことには
買い物は始まらない
生ゴミは処分するものと、市から借りている農園で使う
堆肥にするものの二種類に分ける。
プラスチックや缶はリサイクル。
新聞、雑誌、厚紙は再生紙に。
分別できるものは資源。出来ないものがごみ。
家庭から出る70%をリサイクルしている。
残りの30%をどう減らすのかが今の課題だ
長い庇で夏の陽射しを遮り、
冬の低い陽射しは室内に届くように設計された、
南側全面ガラスの高断熱3重サッシュの家。
消費電力の大きな家電は持たず、
子どもたちに電気を消すようにしつけ、
節水し、
なるべく自転車を使い、
地元の食材を買う。
そんな生活が定着している
ソーラー、風力、水力。エコ電気を選ぶ人が増えれば、
原子力発電に頼らなくても賄えるようになる
70年代初めにフライブルク近郊に計画された
原発に対する反対運動が
環境問題に対する高い意識の出発点となった。
市民の高い意識と
行政の積極的な政策に支えられた『環境首都』。
学ぶべき挑戦だ。
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2009年 3月 3日(火 ) : 『 認知症市民講座・・ 』
少し前になるが、認知症について学ぼうと
草津市主催の認知症市民講座に参加しました。
2001年から脳科学が発達し、
次第に認知症が解明されてきました。
現在、85歳では4人に一人が認知症だといわれています
NHKでも紹介されたオーストリアのクリスティーンさんは
現役中に認知症になり、退職したが誰も見舞いに来なかった。
なぜなのか・・? 同僚たちは見舞いに行って
認知症のクリスティーンさんに
どう対応してよいかが分からずに、
見舞いに行くことに二の足を踏んでいたのでした。
クリスティーンさんは、認知症の人の側から、認知症の人は
どう感じているのかを 伝えようと思ったのです
彼女はパソコンも打てる。文章も本も書ける。
講演会で話もできる。だけど
今どこに居るのかをすぐに忘れてしまうのです。
恐ろしくて一人ではどこにも出られなくなってしまいました。
認知症は 最初は「老人精神病」と呼ばれ、
つぎに「痴呆症」になり、
脳科学の発達に伴い 近年になって誤解を生まないように
「認知症」という呼称に変わってきたのです
☆☆ 認知症の人は接し方で進行度合いが変わってきます
「うれしい」と感じると 脳にいく血液は増え
「いやだ!」と感じると 血液の量は少なくなる。
血液の流れで進行度合いは変化するのです
認知症は 独特の『記憶障害』なのです。
その他の能力、判断力・創造力・感情・知覚力などの
能力はじゅうぶん残っているのです
その能力を認め、大切にしてあげることがとても大切なのです
脳は140億の細胞からできています。認知症で壊れた
脳細胞はほんのその一部なのです
認知症の人が 記憶が定かでなく、
悩みながら言った言葉に対して、
間髪を入れずに否定や返答することはご法度です。
こころが傷ついてしまいます。
一緒に悩んであげることで 自分を認めてもらったと
安心するのです
記憶はできなくても、認識はできるのですから・・・・・
様々な人々が ともに助け合って住み続けられる
地域づくりには
しっかり学ぶことの大切さを
あらためて実感する講座となりました。
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2009年 2月 9日(月 ) : 『 詐欺とNPO・・ 』
若者の二つの断面が報道されていた。
ひとつは振り込め詐欺犯罪に手を染める有名大学生・・
振り込め詐欺の被害者は、9万5千人
総額 1360億円を超えている。
その犯罪グループに有名大学の学生が引き込まれている。
インタビュアーに大学生が答えていた。
「自分さえよければ人はどうなってもいい。お金が全て・・」
と言い切る。
超進学校で落ちこぼれた学生。
「有名大学に進学した友人より優位に立ちたいため・・
とオレオレ詐欺グループに入って稼ぎまくる。
熾烈な進学競争が
「自分さえよければ人はどうなってもいい」青年を生み出し
「お金がすべて」の貧困な価値観を育ててしまった。
彼のためになけなしの貯金350万を振り込んでしまった
病気で年金頼りの老夫婦・・・。
ご主人は労災で足が動かない
奥さんは次々と骨にがんができる難病で
外国の薬に頼らざるを得ない・・
薬代は月に5万円 薬の中断も考えざるを得なくなった
もうひとつは NPOで輝く若者たち
音や振動で発電するシステムを開発する青年
人の重みで発電するパネルを交差点や駅のコンコースに・・
車の振動で発電するパネルを首都高速に・・
そのエネルギーで都内の住宅の電気がまかなうことが
可能になる発電システムの普及を目指す青年・・
子供の看病で休んだら首を切られた友人の話を聞き
病児保育の会社を立ち上げた青年・・
まだまだ採算には乗っていないが
都内の会社10社から支援を受けている
アジア最貧国バングラデシュに産業を立ち上げ
経済的自立を支援する日本人青年女性
バングラデシュの人が自国の工場で
自国の材料を使い鞄を生産するシステムを
創り上げると共に
製品を東京都内の4店舗で販売している。
企業の食堂で、寄付金つきランチメニューを提案し、
ランチの代金のうち20円が寄付に回り、
貧しい国の食糧支援に使われる。
企業の社員も「ランチを食べるだけで国際的な
ボランティアができるなら・・」と好意的だ。
多くの企業が参加してくれるようになってきた・・
と国際ボランティアに取り組む青年が微笑んでいた
みんな自分のやりたいことをやり、
それが社会の役に立っている思いで瞳が輝いていた・・
どちらの若者を増やしていくことができる社会を創るのか・・
私たちの責任は重い・・!!
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2009年 2月 1日(日 ) : 『 街の中の森・・ 』
高校のバスケットボール部の同窓会を泊り込みで行いました。
高校を卒業してから40年。様々な道でみんな活躍してきました。
高校の教師、会計事務所長、地方公務員、市会議員、
機械設計事務所長、鮎の店の女将さんと、さまざまだが
面白いのは樹木医をしていたセンター君の話だった。
樹木医の一番の仕事は木を生き返らせることではないという。
『この樹はもうだめだから切りなさい』と、
お墨付きを与えることなのだそうです。
各自治体にとって、街中の街路樹を切り倒すことは
結構大変なのだと言う。
なぜ切るのか。地域住民に対して納得のいく
説明が求められるのですから。
樹木医として診断し、診断報告書を作成し、
時には抗議に来る住民の矢面に立って
説明を行い納得してもらうことになると言う。
実はそれが一番重要な仕事であるようだ。
だから樹木医は樹を切ることが仕事なんだそうだ。
その樹木医のセンター君がいっていたのは
街の中には銀杏、柳、欅や桜だけでなく、
様々な広葉樹が植えられている。
その30年生や40年生がかなりの量で
切り倒されているのだという。
住宅に使えば魅力的な樹がいっぱいある。
街の中に素敵な森があるんだよ・・・と。
実際は生かされずに殆どが処分されていると言う。
街の中の森・・生かす道を模索してみたい・・。
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2009年 1月 25日(日 ) : 『 ドイツのエコな生活・・ 』
たまたま見た雑誌に、ドイツのエコな生活ぶりが紹介されていた。
買い物は街中の商店に歩いて買い物に行く。
いつも買うパン屋さん。お決まりの丸い大きなパンを
紙に包んで渡される。持って行った買い物籠に入れてもらう。
野菜や果物はそのまま手渡される。籠やリュックに入れる。
もちろんビニールの袋には入っていない。
発泡スチロールのトレーもない。
日本のようにエコバッグの中にはトレーやビニール袋がいっぱい・・
なんてことはないのです。
パンはそこのパン屋さんで焼かれ、野菜や果物も近くの農家で
育てられたもので、誰が作ったかわかる作物ばかりです。
次にミルクを買いに行く。ハイジが持っていたようなミルク缶の
少し小さめの容器を持って買いに出る。
郊外の牧場から移動車で売りに来るのかと思ったら、町の中で
絞りたての牛乳を売っている店がある。その店の裏で
18頭の乳牛を飼っている。
300年続いている酪農家だという。
その町には車の乗り入れが禁止されている。郊外の駐車場から
路面電車で家に帰ってくる。
町のどこに行くにも500m以内に路面電車の停留所が
あるので市民の足が確保されているのです。
1970年には車で埋め尽くされていた市庁舎広場が
今では青空市場がうめつくし、多くの人で賑わっている。
このドイツの小都市には同じスケールの生活が
寄り添うように集まって、慈しみあっているようです。
環境問題は 生活の問題
街づくり地域づくりの問題
国づくりのあり方の問題なんですね
北欧での様々な取り組みを学んでいきたい。
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2009年 1月 20日(火 ) : 『 森は海の恋人・・ 』
先週末に行われた中小企業家同友会の新春例会で
宮城県で牡蠣の養殖を行いながら、
森里海の関わりから自然を見つめる畠山重篤氏が
「森は海の恋人」のテーマで講演をおこないました。
水の中に溶け込んでいる鉄は、動物でも植物でも、
その生命体を維持するのに不可欠な物質です。
しかし、酸素と結合した酸化鉄になると、
その粒子が大きすぎ、細胞膜を通過できません。
体内に取り込むことが出来ないのです。
森林、特に広葉樹林の腐葉土が森の中で形成される時に、
フルボ酸という物質が出来ることが解ってきた。
腐葉土に覆われ酸素が欠乏した土中でイオン化した鉄と
このフルボ酸が結びつき、フルボ酸鉄となる。
フルボ酸鉄は酸化鉄に比べて極めて小さな分子なので、
栄養素として吸収することができるのです。
フルボ酸と鉄が結びついてしまうと、酸素と出合っても
結合することなく、そのままの形を保ち、
川を通って海まで届き、植物性プランクトンの栄養となり、
豊かな海を創りだすのです。
フランス最大の大河、ロワール川河口の干潟に
養殖のために撒かれている牡蠣(フランスでは撒いて養殖する)は
一目で健康な牡蠣だとわかるといいます。
殻をこじ空けて中身を見ると、白く、ふっくらとした
素晴らしい身が入っています。
また干潟のそこここに多く点在する潮溜まりには
小魚、カニ、エビ、ナマコ、イソギンチャクなどの小動物が
ビックリするほど多くいます。
昔の三陸リアス式海岸の姿と同じだった。
牡蠣の餌は植物性プランクトンなのです。
植物性プランクトンは、河口の海、汽水域で
とっても多く発生します。
だから牡蠣の養殖場はどこでも河口なのです。
今までの学校教育では、波が静かな入り江だから、
牡蠣やホタテの養殖が盛んだと教えられてきた。
じつはそこに川が流入していることが重要だったのです。
鉄が供給されているのです。
日本一の牡蠣の産地、広島には太田川が、
二位の宮城には北上川が注いでいる。
まさに汽水域は命の宝庫だと、講師は語っていた。
講演を聴きながら、諫早湾のことを思い出した。
有明海諫早湾の干潟を海から切り離しての干拓は、
その大切な汽水域を見事に破壊してしまった。
閉切ってまもなく、海藻が死に、貝が死に、
魚が取れなくなった。
命の源泉である川からの鉄が、
供給されなくなってしまったのです。
農水省が固執した、
すでに必要でなくなっていた諫早湾の干拓が、
森から里、川から海への命の連関を断ち切っていた。
その自然の循環を無視した愚かさを、
あらためて思い知らされることとなってしまった。
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2009年 1月 15日(木 ) : 『 どれだけ生きたかよりも
どう生きたかを問え・・ 』
学生時代の友人が住職を務める 長野県の無量寺から
新年の便りが届いた。
『生きる』とはなにか・・三つの言葉について書かれていました。
一つ、おかれている場所はどこでもよい。
そこでどう生きるか。
二つ、人生の目的は長生きすることではない。
よく生きるということ。
三つ、よく生きるとは、
今はよくないと気づくこと。
ここは悪いところ、あそこは良いところという、
自分のモノサシをはずしてみる。
拠って立つ場所の所為にしないで
どんな場所でもできることをやりきることが
大切だ
目先の欲望に惑わされて100年生きるより、
物事の本質に目覚めた一日を生きることの方が
価値がある
「よく生きよう」と願うのと、「よく生きた」と
思うのとは違う
「よく生きている」と思うのは
うぬぼれのほかの何ものでもない。
謙虚に生きたいもの・・・・
とあった。
自らのことだけにとらわれずに、大局的見地に立って
物事を判断し、大きな歴史を前に進めることに
生きがいを見出す・・・・
禅の哲学にも 学ぶべきことは多い。
建築の設計にも生かせそうです。
卒業してから36年。
ゆっくり語り合ってみたい友人である。
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2009年 1月 9日(金 ) : 『 認知症サポーター養成講座を・・ 』
今日開かれた医療生協の支部役員会で、
2月14日の日曜日に『認知症サポーター養成講座』を
生協ホールで開催することを決めました。
私の母親も要介護1の認知症なので
昨年12月に行われた市の長寿福祉・介護課主催の
認知症講座に参加したのがきっかけです。
2001年からの脳科学の発達でかなり解明が進んできたこと
85歳では4人に一人が認知症であるのに
認知症に対する理解がされていないことが
いろいろな誤解を生み出しています
講演活動をしているオーストラリアのクリスティーンさんは
パソコンも打てる、文章も書ける、だけど
今どこに居てるのかをすぐに忘れてしますので
一人では出歩くことができない、という重い認知症です
認知症の人は 接し方で進行度合いが変わります
うれしい!と感じると脳にいく血液が増え
いやだ!と感じると血液は少なくなる。
血液の流れで進行度合いは変化するのです
認知症は独特の『記憶障害』です。
その他の 判断力・創造力・感情・知覚力などの
能力は残っているのです。
その能力を大切にしてあげることが大事です
脳は140億の細胞でできています。
認知症で壊れた細胞はほんのその一部なのです
認知症の人が 記憶が定かでなく
悩みながら言った言葉に対して
間髪をいれずに否定することや無視することは
心を傷つけているのです
一緒に悩んであげることで、自分のことを
認めてもらっていると 安心するのです
記憶はできなくても 認識はできるのです・・・・・・
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とってもたくさんの事を学ぶ事ができました。
認知症の人と 共に生きる地域づくりには
しっかりと理解した認知症サポーターがたくさん必要です
2月14日にはたくさんの方に参加していただけるように
準備を進めて行きたい。
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2009年 1月 7日(水 ) : 『 初釜で 気持ちも新たに・・ 』
日曜日に裏千家田村社中の初釜で 気持ちよくお茶をいただいて
きました。
床の間の鶴亀の軸や正月らしい床飾り、
あでやかな色彩の水差しや金の蒔絵の利休形中棗
形のいい釜を拝見して 初釜が始まりました
初炭手前で炉に炭が継がれ ぱちぱちと炭が熾ります
お正月らしい、内側が金色のお茶碗で しっかりと練られた
とろりとした味わい深い お濃茶を堪能・・
お正月ならではの花びら餅もいただき、
薫り高い 薄茶もいただきました。
ゆったりとした時間が流れていきます・・
いそがしく動き回っている日々の中で
お茶をいただくゆっくりとしたひと時は
とっても貴重なひと時です。
あゆみをひと時ちょっと止め、
自分の足元を見つめなおす大切な時間・・・
ゆっくりと確かに 一歩ずつ・・には最適です。
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2009年 1月 4日(日 ) : 『 ゆっくり 一歩ずつ・・ その2
KEY PERSON に 感謝!』
昨年は とってもすばらしい人たちに、
出逢うことができた年であったと共に
充分に納得できる仕事ができた一年でもあった。
その為には 欠かす事のできない
KEY PERSONの存在がある。
クライアントの思いを充分に設計に盛り込むには
かなりの時間が必要です。
住まいを考えるとき、春に考えることと、夏に、秋に、
冬に考えることが少しずつ違ってくるのです。
だから 住宅の設計はほぼ一年がかり、というのも
稀ではありません。
それだけの思いをこめて設計が出来上がっても
その思いを実現していただける施工者がなければ
納得できるすまいは出来上がりません。
設計図に示された内容を充分施工できる能力を
備えていることは当然として、
設計で意図している思いをくみ取り、それを
実現しようとする思いを共有できる施工者がいなければ
現実のものとはなりません。
また、たてものを創り上げていくには、数多くの職種の
専門職の人たちが関わります。
一人ひとりの職種のレベルが高くなければ
いい仕事はできませんが
大切なのは全ての職種の人たちの
強い絆とネットワークです。
お互いが相手の仕事を思いやり、お互いに高いレベルで
フォローし合う関係が築き上げられていなければ
最終的に納得できる建物は出来上がりません。
その堅固なネットワークを創り上げるのが監督さんの役割です
幸運なことにそんなネットワークを持つ監督さんと
10年以上信頼を深める関わりを持つことができました。
こちらがあきれるほど丁寧な仕事をされる
塗装マイスターも、
熟練の技を持ちながらも、クライアントの気持ちに
優しく応える大工の棟梁も
この監督さんのネットワークの一員です。
思いを実現するのに欠かせない
KEY PESONに 感謝!の一年でした。
今年も ゆっくり一歩ずつ・・
夢の実現に力をお貸しいただこう、と思っています。
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2009年 1月 1日(木 ) : 『今年も ゆっくり 一歩ずつ・・・丑年』
あけまして おめでとうございます。
少し小雨模様のお正月ですが、
とてもゆったりとした正月を迎えることが出来ました。
私にとって昨年は とってもすばらしい人たちに
たくさんお出逢いすることが出来た
充実感に満ちた一年でした。
春先に しが健康医療生協のボランティア学校
最終講座「笑いと健康」に
落語の桂九雀師匠が自ら高座にあがっていただきました。
予算が無く、「お弟子さんでお願い」していたのですが
「下手な落語はかえって健康に悪いんで・・」と
本当に気持ちよく演じていただきました。すごい人です!!
初夏 パリの三ツ星ホテルのように改装を・・ということで、
2×4の木造住宅のリフォームに取り掛かりました。
難関は天井の塗装です。
三ツ星ホテルの漆喰金鏝押えの平滑な質感を塗装で出来る人は
ざらにはいません。
JAZZが大好きな塗装マイスターに登場お願いしました・・
あらためてその技量に感嘆!! ありがとうございました
秋 福島県からフォークグループ IN THE WINDの
菊池夫妻が来られて
医療生協ホールでコンサートを開いてくださいました。
自らの癌と母の死から「生きているうちに歌わなきゃ」と
活動を始めたIN THE WIND・・・・
仙台でのJAZZコンサートに出演されているのを
NHKテレビで観ました。その中で紹介されていた
認知症の母に寄り添う息子を描いた歌「赤とんぼ」に感動・・
「いつか機会があればぜひ滋賀に・・」と
お願いをしていたら、本当に来ていただきました。
医療生協ホールを埋めた満員の聴衆が泣きました・・
感無量です!!
初冬 要介護の認知症の母とともに暮らせるすまいに改造したい・・
しかも住みながら・・と話しておられたクライアント・・
間取りの変更も含めての大改造なので、
工事は9月から12月まで4ヶ月に亘りました。
その間 「家造りは家族創り」と家族と更に絆を深め合い・・
「ものづくりは関係創り」と、
担当していただいた棟梁の、家造りの技、職人の心意気、
熟練の技・・一つひとつに目を凝らし、耳を澄ませ、
一つひとつを自らの生きるエネルギーに転換されていきました。
その関わり方にまさに感動です!!
冬 医者になって5年!やっぱり生きているうちにしたいことを
やらなければ・・と画家への道を決意。
すぐにウィーンに絵画留学しそのまま11年。
そのあとバリで4年間 創作活動をされて来られた
三原伸画伯夫妻とお会いする機会をいただきました。
三原画伯のピュアーな生き方にまさしく圧倒されました
まっすぐ正面に向き合ってぶれない姿が
一つ一つの絵に現われていました
まっすぐなまぎれのない生き方に共感されて、
ともに歩まれている奥様の
きらきら輝くまなざしもとてもすてきでした
ほかにもたくさんすてきな人々とお会いできた一年でした。
みんなみんな きらきら輝き、とってもやさしく、
とってもあったかく、とっても強い人たちです。
一歩ずつ・・ゆっくりと確かに 一歩ずつ・・を
モットーにして
私の生き方の目標としていきたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします
☆☆☆ 賀 正 ☆☆☆
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